シェイェフ・ジャームの墓
シェイェフ・ジャームの墓
トルバテ・ジャーム市の名前は、その都市に位置する有名な神秘主義詩人シェイフ・アフマド・ジャーミー(1048年-1141年)の墓に由来する。ピーレ・ジャーム或いはシェイフ・ジャームとして知られているシェイフ・アフマド・ジャーミーは、マアァドアーバードという村に住み、なくなるまでその村に活動し、なくなってからピーレ・ジャームの死没地としてトルバテ・ジャームに改名した。
9世紀のイスラーム世界を代表するアラブ人歴史家アフマド・イブネ・ヤフャルバラザリーは自著『フトゥーホルバラダーン』にザームとして言及されるのが、トルバテ・ジャームの最古の記録である。総面積64000正方メートルのシェイフ・ジャームの遺跡群は、トルバテ・ジャームの近郊にある古い村に位置し、墓場やモスクや聖地からなる。この遺跡群の部分は以下の通りである:
入り口、境内、シェイフ・ジャームの墓、建ての墓、長方形の墓、イーワーン(ヴォールト)、ゴンバド・ハーネ(ドームのある部屋)、ケルマーニー・モスク、白いドーム、サラーチェ(小さな部屋)、新ジャーメ・モスク、アァティーグ・モスク、フィールーズシャーヒー学院(フィールーズシャーヒー・d-ム)、アーブ・アンバール(伝統的な貯水施設)、地下のモスク。
入り口は、ティムール朝(1370年-1507年)時代に立てられた二階のイーワーンと木製の扉からなる。境内は敷石を使った境内の中にシェイフ・ジャームの墓が位置し、彫刻された白い大理石と黒い大理石で創造された墓である。墓の上部と下部に建ての墓石があり、墓の中からピスタチオの古木が生えた。
イーワーンの向かい側にゴンバド・ハーネ(ドームのある部屋)が位置し、遺跡群の中心である。ゴンバド・ハーネは、四つの隅や二台の小さな部屋(チェッレー・ハーネ[1]として)や四つの八角形のヴォールトや北と南と東の入り口からなる。建築方式の視点から14世紀の建築物である。
ゴンバド・ハーネに次いで、ケルマーニー・モスクは、その遺跡群の一番美しい建物である。このモスクの名前は、モスクのキブラ壁(カアバの方向を示す礼拝堂内部正面の壁)に設置された窪み状の設備である貴重なミフラーブの建築家の名前に由来する。この貴重なミフラーブはイスラム建築の傑作の一つとされる。ケルマーニー・モスクの総面積は、182正方メートルである。
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