フェルドウスィー作の『シャー・ナーメ』
フェルドウスィー作の『シャー・ナーメ』
この作品は、最初の王キューマルスからサーサーン朝ペルシア帝国38代目かつ最後の王ヤズデギルド3世に至る古代ペルシアの神話、伝説、歴史が述べられている集大成である。
フェルドウスぃー(934年‐1025年)は、トゥースの大守アブー・マンスールの命令で編纂された散文作品『シャー・ナーメ・アブーマンスーリー』を元にして、980年頃より作詩に着手し、30年以上の年が津をかけて1010年に完成した。
フェルドウスぃーは、ガズナ朝のスルタン・マフムードの大臣であるアボルアッバース・ファズレブネ・アフマド・エスファラーイェニーを仲介して、『シャー・ナーメ』をスルタン・マフムードに献呈したが、期待した恩賞は受けられず、スルタンを詩で風刺し、ガズニーからホラーサーンへ帰った。『シャー・ナーメ・アブーマンスーリー』に加えて、ゾロアスター教聖典『アベスタ』やパフレヴィー語で書かれた『ブンダヒシュン』などが『シャー・ナーメ』の資料だった。
『シャー・ナーメ』は、ペルシア語の言葉と雄弁との倉庫で、表現技法が簡単である。
フェルドウスィー作の『シャー・ナーメ』は、神話・伝説・歴史の三部構成からなる。第一の神話の部分は、キューマルス、フーシャング、タフムーラス、ジャムシード、ザッハークの時代とフェリドゥーンの出現である。第二の伝説の部分は、カーヴェの蜂起からロスタムの殺害まで、第三の歴史の部分は、アレクサンドロス大王の攻撃からイスラーム到来に至るまでである。
この詩集は、イラン民族最大の文化遺産として、ペルシア文学最高傑作の一つに数えられている。世界文学史上最高の傑作の一つとも見なされている。またイランの民族的文化的アイデンティティを決定付ける作品である。
4万8千対句、5万2千対句、5万5千対句、6万1千対句の四冊の写本が一般的であるが、多くの写本がつくられた。『シャー・ナーメ』の知られた訳書は、12世紀のボンダーリー・エスファハーニー訳のアラビア語訳書、19世紀のフェリドリーシュ・フォン・シャーク訳のドイツ語訳書、19世紀のジュレス・モル訳のフランス語訳書などとなる。またドイツ人の東洋学者キャール・ヘルマン・エテとテオドル・ノルドケとニコラース・テロブネルもフェルドウスぃーと『シャー・ナーメ』について重要な研究を行った。
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